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本書には、映画の脚本から抜粋した真理に関する重要な問題とその回答が収載されている。それらの重要な問答は、神の言葉の真理に関する神の選民の経験と理解から構成されており、聖霊の啓きと照らしに由来している。本書は、真理を求めて真の道を考察する人たちが抱えているであろう問題や観念を解決できるだけでなく、神の選民が真理を備えて神の働きを証しする上での素晴らしい参考資料でもある。
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質問 1:あなた方の証しは主イエスがもう戻られているということですか。それはあり得ない! 聖書にこう書かれています。「しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう」(マタイによる福音書 24:29-30)。主が本当に戻られたのなら、輝きの中で雲に乗って来られたはずだ。天と地は震え、太陽も月も輝きを失うのだ。今のところそんな光景は見ていないのに、なぜ主はもう戻られていると言えるのか? 一体どういう事なのだろう?
質問 2:全能神教会では、主イエスの再来について、すでに証をされている、と常々伺っています。そして主イエスの再来こそが全能神だと! 全能神は真理を表し、終末にその裁きの働きをなさいます。しかし宗教界の大半の人々は、主が雲に乗って再臨されると信じています。これは、主イエスが明白に言われたからです。「そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう」(マタイによる福音書 24:30)。ヨハネの黙示録にも預言されています。「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう」(ヨハネの黙示録 1:7)。私も主が雲に乗って再臨され、我々を天国へ直ちに連れて行って下さると信じています。雲に乗って来られない主イエスを受け入れることはできません。あなた方は、主の再臨は肉の人として、ひそかになされると言います。でも、誰もそのことを知らないと。しかし、主が雲に乗り、公に降臨されるということは絶対的です! ですので、主が雲に乗って公に現れ、直ちに天国にお連れ下さることを、我々は待っています。我々の理解は正しいですか、正しくないですか?
質問 3:聖書にこう預言されています。「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」(使徒行伝 1:11)。主イエスが復活された後、天に上がったのは霊体であり、戻って来られる時は、その霊体が雲に乗って降りてこられるはずです。神様が終わりの日に裁きの働きをなさるため、人の子として再び受肉されたと証されている。明らかに聖書と矛盾しています。主が受肉して再来したという証言は偽だと牧師や長老はいつも言っているんです。だから主が受肉して戻るなんて有りえない。あなた方の証しは受け入れられません。主が雲に乗って降りて来られ、私たちを天国へ連れていかれるのを待っていれば、間違いない!
質問 1:あなたは、主イエスが中国に再臨され、その働きをなされている、と証しをされていますが、これは主イエスが聖書の中で預言していますので、私は本当だと思います。「いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」(マタイによる福音書 24:27)。でも私たちは、主が終わりの日に再臨され、私たちを天の国に連れて行ってくださるか、少なくとも、雲まで引き上げられて空中で神様に会えるものと思っています。パウロも聖書の中で言っています。「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」(テサロニケ人への第一の手紙 4:17)。しかしなぜ主は、聖書に記されているように来られないのですか? 終わりの日の全能神の裁きの働きは私たちが天国に連れて行かれることと何の関係があるのですか?
質問 2:主イエスが言われたのですが、「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである」(ヨハネによる福音書 14:2-3)。主イエスは復活し天に戻り、私達のための場所を用意するとつまり天にあるということでしょう。もし主が戻られたのなら、私達を天に引き上げ空に持ち上げ主にお目見えできるということで、あなた方の証しは主イエスは戻り受肉して地にあり話し働いているというから、どうやって私達を天国に連れて行くのです? 天国は地上にあるのですかそれとも天に?
質問:主イエスは「わたしの羊はわたしの声に聞き従う」(ヨハネによる福音書 10:27)とおっしゃいました。主はお戻りになり、御言葉を発して羊を呼び集めていらっしゃいます。私たちが主の到来をお迎えする上で大事なのは、主の御声を聞こうと探求することです。しかし一番の問題は、主の御声をどうやって聴くのか知らないことです。神様の御声と人の声との区別もできないので、間違いなく主の御声だとわかるにはどうしたら良いのですか。
質問 1:私達は長年主を信仰してきました。私達は説教して主のために働き苦労も多いのですが、相も変わらず嘘をつき欺きだまそうとします。毎日自己弁護に追われているし、よく横柄になり我を通し見栄を張り、人に恩着せがましくしたりします。私達は罪を犯し懺悔を繰り、返し肉の束縛から逃れることができません。主の言葉を経験するとか実行することはありません。私達は主の言葉にある現実に生きていません。こんな私達が天の国に招かれますか? どんなに罪を犯し肉に束縛されても主は私達を罪のない者と見てくださると言う人もいます。パウロの言葉にそうあるからです。「終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである」(コリント人への第一の手紙 15:51-52)。主が見えたとき瞬時に私達の姿を変え天の国に連れて行ってくださると思ってます。信仰があり救われていてもしょっちゅう罪を犯す者は天の国に入る資格はないと信じています。これは主イエスの言葉にあるからです。「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである」(マタイによる福音書 7:21)。「……わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない」(レビ記 11:45)。
質問 2:もう何年も主を信じてきましたが、謙遜な態度で人に寛容で、兄弟姉妹を愛し、主のために奉仕して働いてパウロの例に従う限り、主に服従していることになり、主が戻られたときに天の国に引き上げられると誰もが思っています。パウロが言ったように、「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである……」(テモテヘの第二の手紙 4:7-8)。しかしあなたがたは、主を信じるには、終わりの日における全能神の裁きを受けなければならず、清められてはじめて神様の賞賛を得て、天国へと入ることができると証されました。お聞きしたいのですが、これまで何年も主を信仰し、主に仕え働いてきた私たちでも、終わりの日における全能神の裁きの働きを受けずには天国へ行けないのでしょうか?
質問 3:私たちは長い間主を信じてきて、主の御名を支えてきたわ。普段から聖書を読み、祈り、主に私たちの罪を告白してきたじゃない。謙虚で、寛容で、他人を愛していて、慈善活動を行い、寄付を施し、全てを犠牲にして主のために働いて、主に証するために福音を広めているわ。私たちは主の言葉を適用し、主の道にしたがっていないって言うの? 主への現実的な信仰は持ったこともなく、実は不信心者だったなんて、どうしてそんなことが言えるのよ? 聖書でパウロはこう言ったわ。「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである……」(テモテヘの第二の手紙 4:7-8)。だから私たちの信仰は主の賞賛を得るはずじゃないの。主が来られたら、確実に私たちを天国へと引き上げて下さるわ。
質問 1:聖書でパウロは言っています。「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって」(テモテヘの第二の手紙 3:16)。パウロの言葉は聖書に書かれている言葉です。ということは、それは神様の霊感を受けて書かれたものであり、神様の御言葉です。主を信じるということは、聖書を信じるということです。宗派は関係なく、聖書から逸れているのであればそれは異端です! 私たちは主を信じているのですから、常に聖書の通りに従わなければなりません。要するに、聖書の言葉を守らなければいけない、ということです。聖書はキリスト教の正典であり、私たちの信仰の礎です。聖書を離れるということは、主を信じていないということです。聖書から離れて、どうやって主を信じるのですか? 主の御言葉は聖書に書かれています。他に主の言葉が見つけられる場所がありますか? もし私たちの信仰が聖書に基づいたものでなければ、何に基づいたものなのですか?
質問 2:テモテへの第二の手紙の中でパウロが「聖書は、すべて神の霊感を受け」(テモテヘの第二の手紙 3:16)、聖書の言葉は全て神の言葉だと言っている。聖書は神様を代弁し、パウロがそう言っているのに間違っているわけがないでしょう?
質問 3:神様の言葉も働きも全て聖書に記録され、聖書の外にそれは存在しないのです。信仰は聖書があるからこそ成り立つのでありがそれ間違いとでも?
質問 4:受肉した全能神が何百万という言葉を発言し、神の家から始る裁きの働きをされたと証しをされているのですね。でもそれは明らかに聖書から逸脱しています。牧師や長老が神様の御言葉と御働きは全て聖書に書かれていると言うからです。聖書の外に神様の御言葉も御働きもないのです。主イエスの救いの御働きは既に完了しています。終わりの日に主が戻り、信者を直に天国に連れて行ってくれるのです。聖書あってこそ主を信仰できると信じています。聖書を守る限り私達は天国に入り、永遠の命を得ることができます。聖書から離れると主の道から外れます。主に抗い裏切ることになります。宗教牧師や長老は誰もがそう考えています。それのどこが悪いのですか?
質問 5:パウロがテモテ第二の手紙の中で「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって」(テモテヘの第二の手紙 3:16)。つまり聖書の言葉は全て神の御言葉であり、聖書は主を代弁するということです。主を信じることは聖書を信じることで、聖書を信じることは主を信じることです。聖書から逸脱すると主を信じないことになります。主の信仰は聖書にしっかり従うだけで良いのです。たとえ終わりの日における全能神の働きを受け入れなくても、私たちはやはり救われて天国に入れます。この認識に間違いはありますか?
質問 6:聖書は聖書、神は神だと、あなたがたはおっしゃいます。聖書が神様を表わすのは根本的に無理だということはわかりました。では聖書と神様とはどういう関係にあるのですか? まだわかりません。もう少し話してください。
質問 7:あなた方は主イエスが既に再臨され、全能神が主イエスであると証ししています。そして、多くの真理を表し、終わりの日の裁きの働きをしていると。それはあり得ないと思います。神様の御言葉と働きは全て聖書に記されているというのが定説です。神様の御言葉と働きは聖書の外には存在しません。神様の救いは完全に聖書の中にあり、聖書は神様を表すものだ。聖書に従う限り天国に入れるのです。私達の主への信仰は聖書が基本で、それから逸脱することは主を否定し裏切ることになります。違いますか?
質問 8:宗教界では2千年間も、聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもので、全て神が発せられた御言葉であると信じてきました。つまり聖書は主を代弁するものだと。聖書が神様の霊感と神様の御言葉を受けて書かれたものであるという事を否定する者は間違いなく宗教界から非難され異端視されるでしょう。違いますか?
質問 9:聖書こそが主の証しであり、信仰の土台なのです。この二千年というもの、信者達は聖書を基盤に信仰してきました。つまり聖書は主を代弁するものだということなのです。主を信じることは、つまり聖書を信じるということで、聖書を信じるからこそ主を信じることになるのです。何があろうとも聖書から逸脱してはいけません。聖書なしにどうやって信仰を実行するのです? 主を信じていることにもならないでしょう? この方法で信仰することのどこが間違っているのですか?
質問 1:あなたは主イエスは全能神として再臨され、終わりの日に裁きの働きをし真理を示していると証しをされている。なぜそんなことが可能ですか? 主は実際に私たちを天の国に連れて行かれるのです。私たちを置いて終わりの日の裁きの働きをなされるなんて、有り得ないでしょう? 主を信じ、聖霊の働きを受けていれば、既に神様の裁きの働きを体験していると思います。主イエスの言葉が何よりの証拠です。「わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう」(ヨハネによる福音書 16:7-8)。私たちは、主イエスが復活されて天国に昇ぼられた後のペンテコステで、人に働きかけるために聖霊が下りてきたのだと考えます。それによって人々はすでに、自分の罪や義、裁きについて自分を責めています。主の前で告白し悔い改めたとき、私たちは実際に主の裁きを受けているのです。つまり、主イエスの働きは贖いの働きであっても主イエスが天に昇られたあとにペンテコステで降りてきた聖霊の働きが、終わりの日の神の裁きの働きであると信じています。それが裁きの働きでは? 「罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう」とありますが、主の信者として、私たちはよく聖霊に触れられ、戒められて訓練されています。だからいつも、主の御前で泣いて悔い改めるのよ。多くの良い行いこそが、主への信仰で私たちがどう変化したかを表すものです。これは神の裁きを受けた結果ではないのですか? あなたの言う終わりの日の全能神の裁きの働きは主イエスの働きとどう違うのですか?
質問 2:あなたは真理を示し裁きの働きをするために主イエスが終わりの日に戻られたとの証しをされました。なぜ私はそれに気が付かなかったのでしょう? 主は雲に乗って戻られると信じています。主が戻られたら信者は一瞬にして姿を変え主に会うために空中に持ち上げられるだと信じています。パウロが「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう」(ピリピ人への手紙 3:20-21)と言っている通りです。でも、あなたがたは主は受肉して人の子として現れ終わりの日の真理を示し裁きの働きをするために戻られると言われる。それは有り得ない思います! 神は全能で神の一言で天と地すべてのものが造られ死人が起き上がるのです。神は一言で私たちを聖なるものにしてくださいます。真理を示し裁きの働きをし人間を清めるためなぜ神が受肉する必要があるのです?
質問 3:教会の集会で牧師や長老がよく「すべてが終わった」という十字架の主の言葉は人類救済の働きは終わったということで、主イエスを信じ主の御前で罪を告白すれば赦され、罪人としてみなされないと言うのです。信仰さえしていれば、お恵みによって救われ、主がお見えになった時に天国に受け入れてくださるので、人類救済のために主がお見えになる必要はないと。でもこれは間違っているように思えて、でも十字架で主が言われた「すべてが終わった」とは何を意味するのですか? 終わりの日に神様が再び戻られ真理を語り人間を清めるため裁きをする必要があるのか?
質問 1:あなたは、主イエスが再臨され、その働きを行われるために受肉されたと証されていますが、私にはよくわかりません。私たちは皆、主イエスが神様の受肉であることは知っています。その働きを全うされ、十字架に磔にされ、蘇られ、すべての弟子達の前に現れられ、そして栄光に輝く霊的な体で天国へと昇天されました。まさに、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」(使徒行伝 1:11)と、この聖書箇所にあるように、主が再臨される際に私たちに現れるのは、神様の復活した霊体であることが確認できます。終わりの日において、なぜ神様は裁きの働きを行われるために人の子として受肉されたのでしょうか? 復活された主イエスの霊体と人の子としての受肉の違いは何でしょう?
質問 2:あなたがたの話と証を聞いて、終わりの日における主の再臨が裁きの働きをされるための受肉であることがはっきりとわかります。しかし、受肉の真理は理解できておらず、中国共産党政府や、宗教界の牧師や長老たちの噂や嘘に簡単に騙されてしまいます。結果として、受肉された神様をただの人として扱い、さらには反抗し、冒涜さえしてしまいます。なので、受肉の真理についてお聞きしたいのです。受肉とは何でしょうか? 受肉されたキリストと、神様に遣わされた預言者や使徒はどう違うのでしょう?
1質問 3:我々が信じている主イエスこそが神様の受肉だ。主イエスは神様の贖いの働きをなされた、これは誰にも否定できない。しかし、あなたたちが信じている全能神は必ずしも神様の受肉ではない。なぜなら、全能神については聖書のどこにも書かれていない。だから宗教界の牧師や長老たちはあなた達が信じている全能神はただの人だと言うんだ。騙されているんだ。主イエスだけがキリストであり、神様の御子だ! あなたが信じている全能神はただの人だ、それ以外の何者でもない!
質問 4:受肉された神様は、外見からすると普通の人のようだと証されました。まさに主イエスご自身のように、ふつうの人間性だけではなく、神性も兼ねていらっしゃると、ここまでは判りました。受肉された神様が持つふつうの人間性と、堕落した人のそれと何が違うのかということです。
質問 5:恵みの時代において神様が受肉されたのは、罪の捧げものとして人々の罪を贖うため、というのが理由でしたが、その罪なき体で人類を贖うために、聖霊によって人の子として創造されたのが主イエスです。それだけでもサタンにとっては屈辱的でした。終わりの日において裁きの働きを行われるために、神様が再び人の子として受肉されたというのは、本当だとわかりました。お聞きしたいのは、1度目はユダヤで、そして今度は中国でと、それぞれの受肉が少し違っていることです。人類を救う働きのために、なぜ神様は2度も受肉されなければいけなかったのでしょうか? 2度の受肉の本当の意味は何でしょう?
質問 6:聖書にははっきりと書かれています。主が洗礼を授かった後、天が開いて、聖霊が鳩のように主イエスに降り、こう言いました。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(マタイによる福音書 3:17)。そして私たち信者も、そう認識しています。しかしあなたがたは、受肉されたキリストは神様の出現であり、神様ご自身だと証されています。主イエスも神様、そして全能神も神様ご自身だと。これがこれまでの私たちの理解とは違うのです。受肉されたキリストは神様ご自身、それとも神様の子のどちらなのでしょうか? どちらも聖書の通りですし、どちらも正しいように思えて。どちらの理解が正しいのでしょうか?
2質問 7:もし主イエスが神様ご自身なら、なぜ主イエスは、天の父としての神様に対して祈るんでしょう? 説き明かされる謎があるに違いない。ぜひ話してください。
質問 1:ところで、君の話では、終わりの日に主が来られるとき、まずは肉となりひそかに降臨され、勝利者のグループを作ってから、すべての人の前に公に雲に乗り現れるということですね。それはなるほど理にかなっている。だが、今まで2000年間、ほとんどの信者は主が雲に乗って来られるのを待ち望んできた。牧師や長老たちも、よくそのように言ってきた。聖書の預言に従って待つことが、間違っている訳があるのか? 牧師や長老たちは皆主に使える人々だ。彼らは皆主の再臨をこのように待っているのだ。再臨の主が、これらの牧師や長老たちを皆見捨てるとは信じられない! 絶対にあり得ない!
質問 2:牧師や長老たちは主に聖別され任命されたのだということを信じるべきです。この人達はみんな主に仕えているのです。牧師や長老に従うことは主に従うことになるのです。牧師や長老に逆らい非難すれば主に逆らうことになります。牧師や長老だけが聖書を良く理解し解釈ができます。この人達だけが私達を導けるのです。つまり、牧師や長老の言うことは聖書に従い、聖書が土台になっているので、それを守り従うべきです。牧師や長老が聖書に従うことをすれば、それを受け入れ従うべきです何が悪いのですか?
質問 3:聖書でパウロがはっきり言っています。「聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである……」(使徒行伝 20:28)。これは牧師や長老はみな聖霊に聖別されたという証拠です。聖霊に聖別されたということは神様に聖別されたということでしょう? 神様が牧師や長老を群れの監督として聖別したのです間違いありません。
質問 4:教会の牧師は聖書に精通していて知識も豊富です。教会で聖書を解釈しほめそやすので、神様を知っているのだと思っていました。ではなぜ終わりの日の受肉された神様の働きが宗教界の牧師達に激しく非難され反対されるのですか? 教会の牧師や指導者のほとんどが非難するのなら真の道ではないはずです!
質問 5:全能神を受け入れて以来、牧師と長老が邪魔をして聖書の説明ばかりして反論したり拒否してもあきらめないし、嫌がらせとしか言いようがなくて、私たちが弱気になった時はこんなに熱心じゃなかったのに、全能神を受け入れた途端怒ってアメと鞭で人を悩ませるんです。私たちを地獄に引きずり込むまで止めないのよ! 不思議なのは牧師も長老も主に仕えて来て聖書も良く知っているから、全能神が示した言葉はすべて真理だとわかるはずなのに、なぜ学ぼうとしないのか? 全能神を断罪して、拒んで冒涜する前に終わりの日の御働きを調べてみればいいのに全能神を受け入れるのをあんなに妨害するのはどうしてなのか、理解に苦しむんですどうしてなんでしょう説明してくださいますか。
質問 6:中国共産党は無神論政党で神と真理に敵対的な悪魔組織だとわかりました。悪魔はサタンの化身でサタンと悪霊の生まれ変わりは神の宿敵である悪魔ですですから、神が終わりの日に中国で働くと中国共産党政府から狂ったように弾圧を受け迫害されることは避けられないのです。でも宗教界の指導者のほとんどは聖書に熟知した神様のしもべなのに、終わりの日の全能神の働きを求め、学ぼうとするどころか、批判し、非難し、徹底的に拒否しています。なんてことでしょうか! 中国共産党政府が神様の働きを非難するのには驚きませんが、なぜ宗教指導者までもが神様の働きを拒み、非難するのでしょうか?
質問 1:聖書の中でパウロは、私たちは権力者に従うべきと言っているが、もしパウロの言葉を通りにしたならば、常に国を治めている政権の言うことを聞かなければならない。しかし、無神論者である中国共産党は、信仰ある人たちを迫害している神様の敵だ。主を信じることを禁止するだけでなく、神の福音を述べ伝える人たちを捕まえ、迫害する。もしそれに従って主を信じず、福音も述べ伝えなかったら、主に反抗するサタンに加担し、主を裏切ることにならんだろうか? 私たちは滅びに定められたものとなるんじゃないか? 本当によくわからん! 私たちの現政権への対応が御心に叶っているかどうかなんて、どうやって判るのだ。
質問 2:あなたがたが私たちに全能神について証されていたのを、長老と牧師たちが嗅ぎ付けたんです。彼らは異説や嘘を広めてまわり、全能神を非難しているんです。彼らは教会を封鎖して、兄弟姉妹があなたの説教を聞こうとするのをやめさせようと嫌がらせをし始めたんです。私たちを目の中の棘のように、最も憎むべき者とみなしているんです。全能神を受け入れる者は皆、教会から追放するとも言っています。教会は明らかに2つに分裂してしまいました。ある兄弟姉妹たちは私たちと一緒に正しい道を学びたいのですが、その他の人たちは牧師や長老と牧師たちに従い、東方閃電を拒み、非難していて、私たちを敵のように扱っているんです。たった数日で、なんで教会はこんなにも変わってしまったんでしょう?
質問 3:終わりの日の全能神の働きを学び始めてから、宗教指導者たちは、全能神をはげしく非難して真の道を学ぼうとする私たちを、あらゆる手を使って邪魔してきます。ユダヤ教のパリサイ人が主イエスに逆らい非難したのと同じです! 考えていたんですが、なぜ働くために神が二度も受肉して2度とも宗教界や無神論政府による集団的な非難と迫害を受けたのでしょうか? 人類を清めて救うために真理を語って働くだけのために、終わりの日に全能神がお見えになりました。宗教界と中国共産党政府はなぜキリストをそんなに恨み、メディアと武装警察まで動員してキリストを非難、冒涜し、逮捕、壊滅をねらってるんでしょうか。ヘロデ王がユダヤの王である主イエスが生まれたと聞いてベツレヘムにおいて、2歳未満の男児の虐殺を命じ、キリストを生かしておくより、何千もの無実の赤ん坊を殺すことを選んだことを思い出しました。人類を救うため神様が受肉されたと言うのに、なぜ宗教界と政府はそれを喜ばず狂ったように神様の出現と働きを非難し侮辱するのでしょう? 国中の資源を使い尽くしてまで、キリストを十字架につけたのはなぜでしょう。なぜ人類はこんなに邪悪で、神様に恨みを抱くのでしょうか?
質問 1:聖書は神様の業の証しであり、人類に驚くべき利益をもたらしました。聖書を読むと、神様は全ての創造主であり神様の驚異的で偉大な行い、そしてその全能性が理解できます。聖書は神様の言葉の記録であり、神様についての人の証言ではあるものの、ではなぜ人は聖書を読むことによって永遠の命を得ることができないのだろうか? なぜ永遠の命の道については書かれていないのでしょう?
質問 2:主を信仰することで、私達は永遠の命を得ることができると信じています。主の言葉はこれを裏付けています。主イエスは言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない」(ヨハネによる福音書 11:25-26)。「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネによる福音書 4:14)。これは主イエスが約束したことです。主イエスは永遠の命を与えてくださり、主イエスの道は永遠の命への道ということです。聖書に「御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」(ヨハネによる福音書 3:36)。主イエスは人の子ではないのですか。キリストではないのですか? 主イエスを信じれば、永遠の命を得ることができるのでしょう? あなた達は、終わりの日にキリストが私たちに永遠の命を与えてくださると言われた。私が理解できないのは、私達はみんな主イエス・キリストの信者です。それなのに、永遠の命を得るには不十分なのですか? なのになぜ、終わりの日にキリストの御言葉や御働きを受け入れなければならないんです?
質問 1:あなたはまだ信者になって10年ほどでしょう。まだ新米です。私はもう何十年も宗教について研究してきたのですよ。責任をもって言えることはこの世に神は居ないし、救世主もいなかったということです。神を信じるとかいう話は曖昧過ぎて現実味がないのです。私たちは二人とも知識人ですね。事実と科学の観点からものごとを見なくては。唯物論や進化論のような科学的観点から物事を見なければなりません。何故神を信じなくてはならないのです。私たち共産主義者は無神論と進化論しか信じません。ダーウインの進化論は人類史上でも特に重要な理論です。進化論によると、すべては自然の働きで創造されたということがわかります。人類は自然の進化の過程における偶然の産物で、サルから進化したのです。論理的にも十分に証明出来ます。これだけで人類は神によって作られたのではないことが分かります。聖書の言葉は神話や伝説でまともには取れません。もっと唯物論や進化論を学ぶことをお勧めします。これらは実際的な論理で、色々な疑問を解決できます。いったいはっきり物事を見れば宗教的信仰についても正しく理解して漠然とした信仰から脱却できるでしょう。共産党に従うしか未来はありませんよ。
質問 2:私は神を見たことがないし、神のどのように働いたり世界を支配しているのかも見たことがない。私には神を認識して受け入れるのは難しい。私の長年の宗教研究からは宗教的信仰は精神的な栄養に過ぎないと思います。人類の精神的空洞を埋めるものです神を信じる人たちも最終的には皆死にますね。そして死んだ人のうちだれが天国に行って誰が地獄に落ちたのかなんて誰も知らないのです。全ての宗教的信仰は非常に曖昧で非現実的です。科学が発達し人類が進歩するにつれ、宗教的信仰なんてものは捨てられ消えていくでしょう。我々はまだ科学は信じなければなりません。科学こそが真理であり現実です。これはだれも否定できません。科学はまだ神を否定していませんが、神の存在を証明もしていません。もし科学が神の存在を証明し、神がすべてを支配していることも証明出来たら神を信じることはできます。我々共産主義者は科学を信じるのです。科学を信じ発展させることによってのみ人間社会は進歩するのです。科学は人間社会の問題を沢山解決することが出来ます。神を信じることによって人は何を得られますか? 一時的な精神的な安心以外に何の役に立つのですか。実際的な問題には何の役にも立ちませんよね。従って科学を信じたほうが神を信じるよりずっと現実的です。私たちは科学を信じなくてはなりません。
質問 3:宗教界の牧師や長老の多くはあなたがたが信じているのは只の人間でイエスキリストではないと言っているようですが、あなたがたはその人のことを再臨した主イエスだと言っているとか。そう、出現して働く全能神だと。そもそもあなたがたは共産党がキリスト教やカトリシズムを以前から邪教として非難してきたことを知っていますか? それでも主イエスが全能神として再臨したと言うのですね。ちょっと無茶な理屈じゃないかしら? 共産党があなたがたを放置するはずがありません。共産党はキリスト教やカトリック教会を邪教として聖書を邪教の本として認定するつもりです。誰でも知っている話です。共産党が世界的な正統派宗教をカルト指定して断罪するなら全能神の出現と働きを断罪しないことがあるかしら? 共産党が聖書をカルト本指定するなら「言葉は肉において現れる」を放置することなどあるかしら? 公安組織がこの本を何冊も押収して研究しています。理解できないのよ。何故全能神を信じなきゃならないのか。何故全能神が終わりの日のキリストだと言い張るの? 私たちはこの人の家族の背景もすべて知っています。普通の人です。キリスト教が信じるイエスと同じ。大工の息子のイエスには両親と兄弟が居ました。普通の人だったのです。でもキリスト教の世界全体がイエスを神として崇拝する。あなたがたが信じる全能神もイエスのようにただの人間です。それなのにあなたがたは神だと言う。本当に理解不可能だわ。何故このような苦労をして苦難に耐えて普通の人を信じるの? 何の価値があって? 全能神に従うのに家族や仕事を捨てた人がたくさんいるとか。こんな神を信じて最終的に何が得られると言うの? その人が神であると信じる根拠は何なの?
質問 4:あなたがたは全能神を信じて、全能神の言葉を読んで全能神の名において祈るそうだけど、私たちの知る限り全能神教会はある男が立ち上げてあなたがたはあらゆることで彼に服従している。あなたがたの証によればこの男は祭司、神に使われている人で管理業務をすべて執り行っているそうじゃない。不思議だと思うの。全能神教会は誰が始めたの? どのようにして始まったの? 説明してもらえる?
質問 5:聖書にこうあります。「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる」(ローマ人への手紙 13:1-2)。何年も主を信じてきたならこの意味は分かるでしょう。聖書は神様に霊感を受けて書かれたんですから、私は我々信徒は権力者には従順であるべきだと思います。あなたの見解は分かりませんが、中国では当局と対立したらどうにもならない。共産党は革命政権だから、反抗すれば命を奪われかねない。中国で主を信仰するには共産党の統一戦線を受け入れて三自教会に入るしかありません。他に道はないんです! 私たちが主への信仰に求めるものは何でしょう。家庭の調和と平和な人生じゃないですか。三自教会の思慮深さを見てみてください。愛国的で教会を愛し、神様を賛美し人々に有益な組織です。我々は聖書にも国の政権にもたてつきません堂々と教会で信仰が出来るしびくびく隠れることもない良いとこ取りじゃありませんか?
質問 6:国と世界を驚愕させた、5月28日の山東招遠カルト殺人事件はどうなんだ? この事件の裁判は、公判廷だったじゃないか! 山東招遠事件が発生してから政府は家庭教会の取り締まりを厳しくして武装警察も動員して全能神教会を徹底的に取り調べ、信者の捜索と逮捕に力を入れはじめた。確かに、中にはこの殺人事件について疑問を持ち、実はこれは、全能神教会を取り締まるために中国共産党がでっち上げた偽の事件だと信じている人もいるが、いずれにせよ、メディアを通して殺人事件だと報じられ、色んな国に影響を与えたじゃないか。どんなにこの事件を否定しようが、共産党を信じる人はまだたくさんいる。お前たちはこの事件についてどう思っているんだ?
質問 7:共産党は革命政党だということだ。虚偽と暴力を信じ、力でねじ伏せる。「嘘も100回言えば真実になる」という共産党の考え方でいくと、どんなに多くの人がこれを疑い、否定し、信じなくても、共産党にとっては取るに足らないことだ。直ちに効果が生じ、目的が果たされれば、何を犠牲にしても構わない。いくら大衆がデモをしようが、武力で解決してしまう。必要なら、原子爆弾やミサイルだって打ち込むさ。中国共産党は政権を守るためなら何だってやる。山東招遠カルト殺人事件の時も、報道されるや否や武装警察を総動員して何が何でもクリスチャンを弾圧し、逮捕しようとしたが、誰か止めようとしたか? 誰も反抗できなかっただろう? たとえ海外の人間が中国共産党の不正を見抜いたとしても、何ができる? 共産党は西洋の民主主義勢力の非難に対抗できる、あらゆる手段を持っている。「贈り物目当てに自由を売り渡す」ということわざにあるように、すべては金で解決できるんだ。そのおかげで、中国共産党を批判する国はほとんどない。触らぬ神に祟りなし、だ。お前たちがどう説明しようが、共産党はびくともしないぞ。共産党が政権を握っている限り、神の信者に自由はないのだ。この国における神の現れと働きは、共産党によって確実に撲滅されられる。それは共産党が無神論の国を建て上げるという目的を果たす、果たさないにかかわらず、お前たち信者を逮捕し、弾圧するのを止めることはない、ということだ。こんなのはわかりきったことだからこそ、お前たちが全能神を信じるのを厳しく責めるんだ。お前たちのためを思ってなのに、わからんのか?
質問 8:神様に反抗したら地獄へ落ちるとお前は言ったが、そんなことが信じられるか! 地獄を見た奴がいるのか? どんなだ? 本当に神はいるのか? 存在してるのか? どこにいるんだ? 実際に神を見た奴がいるのか? もし全能神が本当に神だとしたら、中国共産党がこんなに執拗に攻撃しているのに、どうして反撃せんのだ? 全能神と呼ばれるぐらいだ。その力で中国共産党を滅ぼしてこそ、本当に神だろうが、そうすれば人類誰もが皆そろって全能神を真の神だと崇め、中国共産党でさえ回心して、二度と反抗しようなんて思わんだろう。だが、現実はどうだ? 神の信者は共産党の警察に逮捕され、その多くが刑務所に入れられ、拷問を受けて痛めつけられ、殺されるなんて日常茶飯事だ。だがどうだ? 神は救いに来たか? そんな神が真の神だと、どうやって信じろと言うんだ? まったく理解できん! お前たちの神は本物か偽物か? お前たちもわからんのだろう? もしそうなら、馬鹿げてるとは思わんのか? お前たちが信じる神が真の神だという根拠は何なのか、説明できるのか?
質問 9:でも政府の書類を見ると、イエスを信じる人、全能神を信じる人は、家族を捨ててまで福音を宣べ伝えると書いてある。中には、一生結婚もしない人もいるそうじゃない? それだけじゃなく、政府は全能神を信じる人たちを拘留するだとか、殺すとか人を殺すことをなんとも思ってないのよ。他にも、「撲滅するまで軍は撤退しない」とか。たくさんの全能神の信者が逮捕されて刑務所に入れられ、普通の生活に戻れないくらい痛めつけられて、仕事を失い、家族がだめになった人もいるわ。神を信じる人たちは、家庭を顧みないって、批判の的になるほどよ。本当にそうなの? 家族を見捨てたり、結婚しないだなんて許しませんからね。もしそんなことなら、全能神を信じるのをやめなさいよ、いいわね?
質問 10:私は長く統戦部で働いて、いろんな宗教を勉強してきたからよくわかる。キリスト教、カトリック、東方正教、これらはみな、イエスを信じている普通の宗教だが、全能神はまるっきり違う。中国共産党の資料によれば、全能神はキリスト教ではない。キリスト教の名のもとにいろんな宗派に福音を伝えているが、実はどの宗派からもキリスト教として認められていない。キリスト教なら、信じてもいいだろう。だが、全能神はダメだ。そのほうが政府からの迫害も少ないだろう。逮捕されて刑務所に入れられても、信じているのが全能神であれば話が違う。全能神を信じる者は、終わりの日におけるキリストに従い生きている弟子や使徒たちのことだと、共産党は認識している。共産党が何より恐れているのは、終わりの日におけるキリストによって解き明かされた宣言や証をまとめた本、『言葉は肉において現れる』と、それを読み、終わりの日におけるキリストに従う熱狂的な信者たちだ。キリスト教の歴史を学んだが、当時のユダヤ教とローマ帝国が最も恐れたのがイエスの弟子や使徒たちで、捕まった者は皆、死刑になっている。今日では、終わりの日におけるキリストの信者を弾圧し、完全に撲滅させるために何かしらの手段を取らねば、数年後には宗教界そのものを飲み込んでしまうだろう。すでにこの国では、いくつかの主要宗派がすでに全能神教会によってやられている。世論を操り、招遠の事件をでっちあげなかったら、世界中の宗教界が全能神教会に飲み込まれてしまう可能性もあるのだ。もしそうなれば、中国共産党の支配とって非常に不利になる。だからこそ中央委員会は、できる限りの軍を集めて全能神教会を攻撃し、一気に撲滅しようとしているんだ。東方閃電の出現は、中国だけでなく世界中に大きな影響を与えたことはお前たちも知っているだろう? そんな大きな動きがあった中で、共産党が徹底的な弾圧と逮捕劇を繰り広げるのは当たり前のことだ。もし神を信じたいのなら、キリスト教だけにしておけ。全能神を信じるのは絶対に許さん。全能神教会はキリスト教ではないことを知らんのか?
質問 11:イエスは初めの、全能神は終わり、どちらもキリストだとお前たちは証したが、我々、中国共産党はそんなことは認めていない。「インターナショナル」では、世界を救う者はいないとはっきりと謳っている。お前たちは救い主キリストの来臨を主張して止めない。中国共産党に非難されて当然だ。我々にとっては、お前たちクリスチャンが信じるイエスは、ただの人間だ。十字架に磔にされ、ユダヤ教の信者らでさえ、彼を認めなかった。お前たちが証しする、受肉した全能神も、実際は、ただの人間だ。中国共産党の調べによると、この神には苗字も名前もあるそうじゃないか。お前たちはなんで、そんな普通の人間がキリスト、神の現れだなんて言うんだ? おめでたいにもほどがある! 全能神によって、どんな真理が解き明かされ、終わりの日における裁きの働きがなされたかを、お前たちがいくら証しようと、中国共産党はこの神を認めることはない。お前たちは、ただの人間を神だと信じている。キリスト教やカトリック、東方正教会の信者らと同じく、人間を神だと信じる無知蒙昧な人間じゃないか。神とは一体何だ? そして神の出現と働きとは何だ? 真理を解き明かし、神の働きをしてさえいれば、それが真の神の出現だと? そんなことが受け入れられるか! もしもこの神が奇蹟を行い、中国共産党や神に逆らう者たちを一掃するなら、真の神だと認めよう。この神が天から現れ、轟く声で人類すべてを震え上がらせるのなら、それこそ神の出現と言えよう。それなら我々、中国共産党も彼を認めるだろう。そうでもなければ、神がいるなんて認めることは絶対にない。
質問 12:政府の文書によると、全能神教会は、中国の北東部出身の趙という者が創始者で、教祖として教会を率いている。全能神教会の信者らは、この男が聖霊の使者であると唱え、その説教に耳を傾け、教会での業務においてもその声に従う。お前たち信者は、全能神の御言葉を読み、全能神の名によって祈り、『言葉は肉において現れる』を正典とみなし、集会にて全能神の御言葉について語り合うが、全能神教会で何においても最終的な決定権を持っているのは、この男だ。全能神教会がこの男によって建てられたのは間違いない。中国共産党および宗教界は、全能神教会を人によって創られた組織だとみなしているが、私もそう思う。わかるか?
質問 13:皆さんは全員神を信じています。私はマルクスとレーニンを信じています。私の専門は様々な宗教信仰の研究です。私は長年研究して、問題を1つ見つけました。どの宗教信仰も神が存在するとしています。しかし、神を信じる人で神を見たことがある人は未だにいません。信仰は感情だけに支えられているのです。それで、宗教信仰について次のような結論に達しました。宗教信仰は想像上のものにすぎません。迷信です。科学的根拠がありません。現代社会は科学が高度に発展した社会です。全て科学に基づいて間違いがないようにしなければなりません。我々共産党員は、マルクス・レーニン主義を信じています。神の存在を信じていません。革命歌「インターナショナル」を知っていますね。救世主が存在したことはない。神や皇帝に依存することもしない。人類の幸福のために、我らは完全に己に頼らねばならない。「インターナショナル」の歌詞は「救世主が存在したことはない」とはっきり言っています。過去に人類が神を信じて迷信的な儀式を行った理由は、当時の人間が、太陽、月、星、風、雨、雷鳴、稲妻などの自然現象に直面した時、科学的に説明できなかったからです。なので、超自然的な力に対して恐怖と驚嘆の念が心の中で沸き起こったのです。こうして最初の宗教概念が形成されました。その他にも、人間は自然災害や病気などの困難を解消できなかった時、神をうやうやしく礼拝することで精神的ななぐさめを得ようとしたのです。こうして宗教が誕生しました。明らかに理性的でも科学的でもありません! 現在、人類は進歩して、科学が発達しています。航空宇宙工学、バイオテクノロジー、遺伝工学、医学など各分野で、人類は著しい進歩を遂げました。過去には、人類は多くの問題を理解できず、解決方法もありませんでした。今日これらの問題は全て科学で説明できます。科学が解決策を提供してくれます。科学とテクノロジーが発達したこの時代に、まだ神を信じるなど、馬鹿で無知なことではないでしょうか。そのような人は時代に取り残されるのではありませんか。唯一、現実的なことは科学を信じることです。
質問 14:神への信仰において、皆さんそれぞれの考えや意見があります。皆さんの考えや理論は主観的な意識から出た感覚のように私には思えます。幻想の範疇に入ると思います。我々共産主義者は唯物論と進化論が正しいと信じます。なぜなら科学に一致しているです。中国では小学校から大学まで全面的に唯物論、進化論の教育を施しています。なぜでしょうか? 子供や青少年に早くから無神論や進化論の考え方を教え込むためです。そして誰もが宗教や迷信から遠ざかるようにです。あらゆる問いを科学的に、理性的に説明できるようにするためです。たとえば、生命の起源を考えてみましょう。昔の人々は無知で遅れていました。中国神話の神パングー(盤古:日本語発音ばんこ)が天と地を分け、女神ニューワ(女媧:じょか)が人間を作ったなどという話を信じていました。西洋人は、創造主が人類を創ったと信じています。実は、これらは全て神話や伝説で、科学に一致しません。進化論が登場して、人類の起源や人間がどのように猿から進化したのかをはっきり説明して以来、進化論は神が人間を創ったという伝説を徹底的にくつがえしました。万物は自然に進化しました。これこそが真理です。だから、我々は科学と進化論を信じなければなりません。皆さんは、どなたも教育を受け知識がある。なぜ神を信じるなどということができるのですか? 皆さんは自分の見解を話せますか?
質問 15:国家の指導層はキリスト教とカトリック教を邪教と定め聖書を邪教の本と定めています。これは一般的に認識されている事実です。なぜ中央政府がキリスト教の家庭教会、特に全能神教会を邪教と定めたのか、その理由についてですが、私の理解と研究でわかったところによると、こんな理由じゃないでしょうか。神が万物を創造したと証しする者、神が創造主であり、神が人類を創造したと証しする者、神が万物の支配者であると証しする者、神が宇宙の主で宇宙を支配していると証しする者、人類は神だけを崇拝し、神に従い、神を拝むべきだとする者は皆、全て邪教です。神が義なる、聖なるもので偉大であると証しする者、神の愛と人類の救いは存在すると証しする者、人類を堕落させる悪魔として、世界を支配する邪悪な力として、サタンを非難する者、特に共産党を直接攻撃して非難する者、これらは皆邪教です。主イエスが再臨したと証しする者、受肉したキリストを証しする者、普通の人間の言葉と働きをまるで救世主が降臨して働きを行ったかのように語る者、キリストが発した全ての言葉が真理であると公表して証しする者、人類に神を受け入れ、神に向かい、神に従うように呼びかける者、共産党に従わない者、これらは皆邪教です。神の言葉が真理であり何よりも崇高であると証しする者、『聖書』が神の言葉であり、『言葉は肉において現れる』が真理であると証しする者、マルクス・レーニン主義と共産党の思想と理論を排除して非難する者、これらは全て邪教です。終りの日のキリストについて教え証しし、神が再臨したと説く者、全人類に神の救いを受け入れさせようとする者、神の国に入る唯一の方法だからと人々に一切合切を捨て神に従うよう呼びかける者、これらは皆邪教です。これが私の理解する中央政府によるキリスト教家庭教会のとらえかたです。特に全能神教会は邪教とされています。中国では、共産党が支配しています。共産党はマルクス・レーニン主義の無神論の政党で、あらゆる有神論に反対しています。共産党は、邪教として神を信じる全ての宗教集団を有罪であると宣言しています。これは共産党の絶対権威をはっきり示しています。共産党だけが偉大で、輝かしく、正しいのです。マルクス・レーニン主義に反するものや敵対するものは、何であれ、間違っています。共産党はそのようなものを禁止します。中国では、マルクス・レーニン主義と共産党を偉大なものとして敬わなければなりません。これ、もしかして何か問題がありますか? 全能神教会の信者は、イエスが再臨した、しかもそれは終りの日のキリスト、全能神であると公然と触れ回っている。また全能神が真理を表して、人々を清めて救い、神の国が既に地上に到来していると証言している。そのせいで宗教界に激震が走り、分裂が起こり、数百万人が全能神に改宗した。これは中国で大騒ぎとなり社会に深刻な混乱と不安がもたらされた。そうやって、公共の秩序を乱しているのではないのか? そのため、中央政府は全能神教会は邪教なので有罪だと宣言して、大々的に攻撃し抑圧している。お前たちは皆、騙されて邪道に陥ったんだ。政府は、お前たちが時間を無駄にせず、さっさと反省して全能神教会から離れ、三自教会に入会してほしいと思っている。そうすれば、政府はもうお前たちの刑事責任を追及しないだろう。
質問 16:君らは、全能神は終わりの日の神の出現で、真の道だと言う。君らはまた、神がこの世界を創造してこの世界を支配していると言う。人々をずっと導き救ってきたのは神の働きだとも言う。実際にどんな根拠があって、そんなことを言うんだ? 我々共産党員は無神論者で、神の存在や神の主権を全く認めていない。君らの言う受肉した神の降臨や働きはもっと認めない。キリスト教が信じるイエスは、明らかに人間だ。両親も兄弟姉妹もいた。なぜキリスト教ではイエスがキリストとして扱われ神として崇拝されなければならないのか。これは全くもって理解できない。君らが信じる全能神はまさにイエスのように、明らかに普通の人間だ。なぜそれを受肉した神だと君らは頑固に言い張るのだ? なぜそれを終りの日における救世主キリスト本人だと証言する必要があるのだ? これはあまりに愚かで無知なことではないか? この世界に神のようなものは存在しない。ましてや受肉した神などはいないのだ。君らは普通の人間を受肉した神だと、頑固に言い張っている。根拠は何だ? 君らは自分の信仰の理由と根拠を説明できるのか?
質問 17:あなたがたは全能神が終りの日に降臨して働く神で全能神への信仰は真理を求めることで、人生の正しい道を歩むことだと言ってるけど私が知る限り、全能神の信者の多くはイエスの伝道者みたいです。福音を広めて神の証しをするために、ためらいもせず家族や仕事を捨てて神に身も心も捧げる伝道者。その中には、結婚しない若者も多いし、することと言えば終わりの日のキリストに従って本分を果たすことだけ。気づいてないかもしれないけど、あなたがたが家族を捨てて福音を広め神の存在を証言しているせいで、神を信じる人の数がどんどん増えています。人類全体が神に向かったら一体誰が共産党を信じて共産党に付き従うと思うの? だからこそ政府はあなたがたを抑圧して逮捕するんです。これ間違っているかしら? あなたがたがこんなに神を信じているのが原因です。それで多くの人々が逮捕されたり投獄されたり家出して逃げざるを得なかったんです。夫婦が何組も離婚して、かわいがってくれる親をなくした子供がいっぱいいます。面倒を見てくれる身内のいない高齢者もいっぱいいるんですよ。あなたがたの信心のせいで家族にこんな苦しみを味あわせている。一体それでどうしようというの? これがあなたがたの説く人生の正しい道だっていうんですか? 伝統的な中国文化では、親孝行が一番大切です。「あらゆる徳のうちで孝行が最重要」と諺にあります。孔子曰く、「父母在(いま)せば、遠く遊ばず」。両親を敬うことは人の行いの基本です。あなたがたのように神を信じて神に従うと、自分達を生んで育ててくれた親の面倒さえ見られない。どうしてそれが人生の正しい道だと思えるの? 信心深い人は皆善人だと言われるし、それは間違ってませんがあなたがたが皆神を信じて崇拝し、神を偉大だと尊敬するから共産党が怒り狂って、憎しみで一杯になってるんです。福音を広めて本分を果たすと、自分の家族の面倒さえ見られないじゃないですか。どうしてこれが善行なの? どう? あなたがたが神を信じて道を誤ったってことじゃないの? このように福音を広めて神は存在すると言うことで、あなたがたは社会の調和と安定を壊してしまったんじゃないんの? これ以上間違いを続けるのは止めたら。なるべく早く社会復帰して、家族と一緒に普通の生活を送って、ちゃんと家族の面倒をみるべきです。子供や親としての義務を果たすべきです。これこそが人のあり方の基本で、一番現実的なことです。
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